福田さんが最も敬愛する元F1ドライバー Nigel Mansell との出会いについて、語っていただきました。(Mar.2004)
—福田さんの車好きはご存知の方も多いと思うのですが、いつ頃からですか?
自動車は物心ついた頃か、それより前から好きだったんだ。自動車図鑑とかは勿論だけど、小学1年のときには親に買ってもらってモーターファンなんか読んでたよ。小学3年生のときに、モーターショウに連れて行ってもらったのを、今でもよく覚えてる。マツダのルーチェが発売された時でね、日産のシルビアとか、日産プリンスロイヤルとかが出展されてたなぁ。コンパニオンのお姉ちゃんをマネキン人形だと思ったんだよ。(笑)
—幼少の折にお父様の車を乗り回していたっていう話を聞きましたが?
小学校の校庭とかでね、コラムシフトの車だったんだけど、まだ背が低いからさ、立ったままアクセル踏んでた気がしたなぁ。
—その頃はレースに関心はあったんですか?
日本でテレビ放映とかされてなかったから、レースを見る機会は少なかったけど、ダイジェストなんかで見て、ジム・クラーク(英)とかグラハム・ヒル(英)とか好きだったよ。レーサーになりたいと思ってたくらいレース好きだったね。
—本格的にF1好きになったのは?
やっぱり87年にF1グランプリが日本でテレビ放映されるようになってからだね。実はそれよりも前、76年と77年に富士スピードウェイで日本グランプリは開催されていたんだけど、大きな事故があってスポンサーが降りちゃってしばらく開催されていなかったんだ。87年はバブル真っ盛りだったし、中島が参戦するっていうのもあって、またテレビで放映されはじめたっていうわけ。俺もレース自体もともと好きだからね、F1放映を見るようになったんだ。
—そのときマンセルは?
85年の残り3戦くらいでウイリアムズホンダで頭角を現して、85年は初優勝だった。でも、はじめは彼に特別な思いはなかったんだ。
—マンセルについて簡単に教えてくださいます?
マンセル(英)はロータスの創始者コーリン・チャップマンに認められてロータスに入る。その時の逸話として知られてるのが、当時レースで首の骨を折って入院中だったにも関わらず、どうしてもロータスで乗りたくて無理やりテストを受けたって話。だけど、鳴かず飛ばずのうちに引き抜いたチャップマンが死んでしまって、後継にあたるチーム監督のピーター・ウォーには嫌われてたの。そうこうしているうちに、ロータスがセナと契約するんで、チームから放り出される。それを拾ったのがウイリアムズホンダ。
ウイリアムズに移籍後85年に初優勝。当時ホンダはすごい勢いでエンジンの開発をやったんで、86年はマンセルの独壇場だった。マンセルっていうのは、とにかく速いんだよ。でも、天性のポカミスとかがたたって、ポールは取るけど勝てないとか、セナとクラッシュして終わりとか、最終戦でタイヤバーストしたりとかあって、なかなか勝てない。俺、結構判官びいきなんで、そういうヤツ好きなんだ。当時ネルソン・ピケ、ナイジェル・マンセル、アイルトン・セナ、アラン・プロストなんかが活躍していたんだけど、そんなんで特にマンセルに親近感をいだいていたんだよね。
—印象に残るレースといえば?
87年シルバーストーン(英)のマンセルとピケの激闘だね。このレースを見て完全にやられたよ。マンセルはイギリスではものすごい力を発揮するんだけど、このときはタイヤに問題を抱えていたので、追って来ていたピケに先行させて、ピットしたんだ。だから残り30周だったんだけど、30秒くらいのロスが出ちゃった。ところが、その後1周1秒ずつ猛烈に詰めていって、残り3週くらいで追いついた。とうとうあるコーナーにさしかかるところで、劇的なパッシングがあって、ピケを抜いたんだよ。マンセルの追い上げるときの速さとか、追いついてから抜きにかかるテンションは、気が狂っているんじゃないのってぐらいの凄まじさなんだ。で、チェッカーを受けたんだけど、まもなくピストンが焼きついて車がとまっちゃったんだ。そのくらいに踏んでたんだよね。ウイニングランの時にピケを抜いたあたりのコーナーに降り立ってさ、地面にキスするんだ。それがかっこよくってさ。なのに、その年の鈴鹿でチャンピオンがかかった試合の予選でクラッシュして入院。結局あと2選残してピケに取られちゃった。その悲劇的なとこに惚れてファンになっちゃったんだね。
—F1のシステムっていうのは?
1シーズン大体15-16レースで、そのなかで、一番ポイントを取ったのが優勝。当時は1位が9点、2位が6点、3位4点、4、5、6、は3点、2点、1点、ってなっていて、シーズンを全部足したポイント数で優勝が決まる。だから、1位が多いからといって、優勝するとは限らないわけ。事実、87年はマンセル6勝ピケ3勝なんだけど、ピケが優勝。その「1位かリタイヤか」みたいな所も好きなんだよね。
—マンセルの美学っていうのは福田さんの音楽に影響を与えている?
人間が音楽でもなんでも自分のやりたいように思いっきりやって、しかもそれを表に出すっていうのは、技術が伴わないと難しいよね。だけど、マンセルには技術もあって、政治的なプレッシャーにも屈することなくそれを貫いていく。その姿勢がいいなって思ったんだよ。みんなプレッシャーの中では手堅く行くのに、そこをガーっと行けるってのがね。
当時、ちょうど自分も30歳くらいになって、いろんなプレッシャーを受け始めた時期だったんだよ。20代みたいにデタラメやってばかりもいられない立場に置かれることも出てきた。テレビとかで見る政治家にしても、スポーツなら川上の「勝利の方程式」みたいな野球にしても、そういう手堅いのを見てて、なかなか思いっきりいけなくなるもんなんだなーなんて感じ始めていた頃だったんだよ。ともすると守りに入りそうになるところに、喝を入れてくれたっていう感じ。手堅くまとめたところで、人生1回しかないし、しかも好きではじめたことなんだから思い切りやるしかないっていうことを教えてくれた。
—マンセルとの出会いは、タイミング的にも絶妙だったんですね。
そうだね。
—今はそういったキャラクターの選手は?
今好きなのはモントーヤ(コロンビア)っていう選手かな。彼は、すごく暴れん坊で相当上手いんだけど。すごい好きだよ。強いって言ったらシューマッハだけどね。彼は車を乗りこなすって意味では人類史上最強っていう驚きはあるけど、あんまり惹かれないな。マンセルみたいなかわいげはないもの。
—完全無欠みたいなのは興味がない?
やっぱり、普通はがんばれないところで、人間ががんばる様を見るのがいいじゃない?意外なところでの抜きとかね。そういう人間クサイのが好きだね。あれを見たくてレースを見るわけ。普通はなかなか危なくて抜けないんだけど、そこをあえて攻めていくっていうところにその人の人間性が出る。実はマンちゃんに出会うまでは、マラソンの瀬古が好きだったんだ。彼が大逆転をするのを何度も見て、大好きになっちゃってさ。そういうタイプがすきなんだな。
お話を伺っているだけで、私もなんとなくマンセルが好きになってしまいそうです。レースとライブ、案外楽しみのツボは同じなのかもしれません。「GO AHEAD NIGEL」を聴くときに「人間クサイ」lマンチャンに思いを馳せてみましょうか。