僕が初めて生でキースを聴いたのは、1978年の武道館でのソロ・コンサート。まだあの有名な「ケルン・コンサート」の余韻がプンプンの頃で、開場を埋め尽くしたとてもジャズ・ファンとは思えない観客が印象的だった。ジャズと言えば新宿で、ヒッピーの残党のような輩がうようよしていた時代に、シャンプーしたてのロング・ヘアーのお嬢様風が多かったから。
プログラムは前半1曲、後半1曲と、アンコールの小品(スタンダードだったか?)の3曲の構成で、いわゆるヒーリング・ミュージックとは別次元の、凄まじいエネルギーに満ち溢れた音楽だった。アコーステックなピアノ・ソロの形をしていたが、底辺に流れているのは、「オン・ザ・コーナー」~「ゲット・アップ・ウイズ・イット」を彷彿とさせる70年代マイルスの精神。大半の観客とは裏腹に、キースはヒッピーだったのだ(笑)。
2度目はもうプロになっていたから、1984~85年頃だと思うが、衝撃の「スタンダーズ」の1枚目の余波が残っている頃。新宿厚生年金会館の2階席で、バラッド以外ベースはほとんど聴こえず、キースとジャック・デ・ジョネットのデュオのように僕の席には聴こえていた。難解で抽象的なドラマーだと思っていたジャックが、実はものすごくタイトなドラマーなのだと、強く印象付けられたコンサートだった。
3度目は、1987年のサントリー・ホールでのソロ。これは、バロック以前の音楽から近現代までの音楽史~音絵巻のように構成され、それらの1曲1曲がどれも完璧で、キースが天才を通り越して、神に思えた、まさに生涯で一番圧倒されたコンサート。未だこれ以上のピアノ・ミュージックを聴いた事がない。
4度目は1993年にニューヨークのカーネギー・ホールで聴いたスタンダーズ。2階席だったのにどこかと違って音響もよく、CDやビデオで馴れ親しんだ彼らの演奏が、存分に楽しめた快演だった。キースにしか出来ない、あの“イントロ”と“エンディング”も十分に聴かせて頂いた。まさにスタンダーズの爛熟期。
5度目は今回と同じ、東京文化会館での2001年のスタンダーズ。何時ものスタンダードに交えて、フリー・フォームの演奏が数曲演奏され、そのクオリティーの高さと、スリリングなトリオ演奏に感服した。いったい今後このトリオ、どうなっていくのだろうと、想いを巡らせた。フリーになると俄然輝きを増すゲーリー・ピーコックも印象的だった。
そして6度目、今回の東京文化会館でのトリオ。前回ホールを後にする時感じた、このトリオの変化が、どう発展しているのか期待に胸を躍らせて開演を待つ。ジャックの派手なドラム・セットにも“今までとは違うぞ!”感を募らされた。
しかしである、始まってみれば、一部一曲目の「Night And Day」からアンコールの「When I Fall In Love」までオーソドックスな曲目&演奏に終始したのだ。期待した分だけガッカリした。これは正直な気持ち。トリオの演奏は最高~極上だから、文句の付けようはないのだが、この手の演奏なら、ジャズ・クラブでグラス片手に聴きたくなる。どうして文化会館なの、と噛みつきたくなった。
僕が四半世紀以上に渡ってキースに感服させられ続けてきたのは、彼がマイルスのジャズ・スピリットと、バッハから近現代に至るクラシック・ピアノの研究=実演を、まさに両立(自分の音楽の中で)出来る希有な存在だからだ。そういう意味で、僕のキースヘの欲求が満たされたコンサートではなかった。ゴキゲンなピアノ・トリオを聴くだけだったら、キースでなくてもいいのだから。
ただし、ジャズ・ピアノのトリオとして見れば、世界最高峰は間違いなし。キースのタッチ、グルーブ感、ハーモニー感覚、テクニック、構成力、どれをとってもピカイチ。ジャックの美しい音色と音量が、絶妙にコントロールされたドラミングは、まさにグルービイ! ゲーリーのバラッドのソロは、何度聴いても素晴らしいの一言。相変わらず、“音楽的”という言葉がピッタリのトリオだった。
開場を埋め尽くした超満員の聴衆は、きっと満足して家路についた事でしょう。僕はキースを聴き過ぎてしまったのかも知れませんね。でもまた行きますよ(笑)。
- JazzLife 2004年6月号掲載